その時には気づけない「素晴らしいアニメ」というものがある。

 

カーボーイビバップもそのひとつである。

放送当時は存在すら微妙であったが、今とてもはまってる!

素晴らしい!かっこいい!賞賛が湧いて出てくる。

 

今でも強いファンをもつこのアニメは、音楽的にも素晴らしく、内容もおもしろい!

色々な不遇の環境をうけているが、それをもしのぐ面白さである。

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼滅と広告

鬼滅の刃を決して批判する気はないが、猫も杓子もというのはどうかとは思う。

今までのブームと呼ばれるものは本当に民意なのだろうか?

 

ファンになるのはわかるが、問題はそのフックである。

過去のブームをさかのぼると、モノの良しあしは別として仕組まれた感を思う。

 

女子高生や子供などまずは食いつきの良いインフルエンサーを創造する。

そこままでで終わるのが一般的だが、まずは「芸能人」が騒ぎ出す。

ブログ、ツイッターとうで拡散させる。それを追従するようにワイドショーで「大ヒット中」と騒ぎ立て、逆に知らないのは遅れている感をだし、連日報道する。

そして、大人たちや一般の無関心層を引き込み、一大ブームの完成である。

 

ブームのきっかけになるのでから、ある程度魅力的なものには違いないが、その後の広め方に疑問を感じる。

 

芸能人、ワイドショー・・これを広告会社が仕組んだムーブメントとしたら・・・

選挙のイメージや戦略もするくらいでもある広告会社なら、この手のものは簡単にできるだろう。

流行らせたらメーカーに売上、芸能人にギャランティーやバーターの仕事、広告会社は利潤をもらう。WIN-WINの完成である。

日本特有の、みんなが流行っているから・・という意識をうまく使い、そのうえ日本で大ブームと海外に拡散までしていく。

本当に自分の目でたしかめ、良いものかをきちんと全員が確認しているのだろうか?

 

私感ではあるが、たしかに鬼滅は面白いが、そんなに騒ぎ立てるほど?と思う。

ジャンプ世代にはたまらなく楽しいが、大の大人がそこまで・・・と思う。

逆に、アニメでも他にもいろいろ大好きな作品はあるし、昔のアニメだって面白い。

最近になって当時避けていた、右手にサイコガンのあるアニメをみてドはまりし全て一気見したくらいだ。

 

これだけ鬼滅と騒いでいるが、少し前の海賊アニメ大好きブームはいずこ?芸能人が絶賛し大人が巻き込まれていたあのアニメは・・・?

それも、芸能人発信でワイドショーで出演芸能人も私もすきです!みたいな感じだったなぁ・・。

 

仕組まれたブームをきちんと把握できているだどうか?

新聞・ニュースも情報操作で伝え方が知らずに変えている。それをきちんと多くから情報を収集し、自己判断し、自分の意思をもっているだろうか?

 

情報弱者(鵜呑み)にしている市民にはなっていないだろうか?

興行収益で最高=一番素晴らしい と勘違いしてないだろうか?

では、長寿アニメのあの一家やネコ型ロボットの広告スポンサー料は累計したら・・・?

 

一時のブームで潤うために仕組む人(企業)がいることを忘れてはならない。

まぁ日本人自体が、幼少からタイアップ玩具や商品を流行りで購入し、一時後はもう見向きもしない消費の仕方をしているのだから、国民性なのかも知れない。

 

 

 

社員にやる気を持たせるな!

社員にやる気が感じられない、モチベーションを感じないという経営者や幹部が多い。

もちろん社内は活気があったほうがいいが、それを強要するのは筋違いで、その分還元しているのか?と問いたい。

 

高校野球たとえて考えてみて欲しい。

社長(=監督)は、勝つために日々考え、戦略を練る。

 

レギュラー選手(=幹部)は、監督の意向を汲み、戦略やチームワークをシュミレーションし、ある程度休みの日も野球のことを考える。

 

補欠選手(=一般社員)は、レギュラーこそ目指せどレギュラーでもないので戦略等は考えない。いや考らえれないといっても良いだろう。スターティングメンバーもわからないチームで協力して作戦を考えろとう方が愚問である。

 

まずは、メンバーを目指し自主練などはすれど、日々勝つためには考えることはできない。(相手も居ないので当然である)

 

しかし会社において、やれ社員に将来を考えろ!モチベーション高く会社の改善に取り組め、売上拡大を考え動け!などという経営者は疑問に思う。

そもそもスタメンにも入れてないし、その待遇すら与えてないのに実践を考えろとはおかしな話ではないだろうか?

 

それを推奨しているセミナーや自己啓発なども同様である。

経営者の満足を促すようなメニューで、社員の事なんか考えてはいない。

(まぁ、報酬をくれるクライアントは経営者なので、そこに向けるのは当然か・・)

それでいて、セミナーを受講したのだから、やる気を出せ!とか言われてもである。

 

まれに、同調するのか、こますりか、それを真摯(笑)に受け、実践し他に進める社員がいる。知識がないのか、自己を考えないのか、テレビなどの情報を鵜呑みにして、真っ先に情報操作される情報弱者と同じである。

 

過信と鵜呑みは禁物の現代において、自分で情報の取捨選択をしなくてはならない。

それを怠ることと等しい。それでいて、鵜呑みにしているんのでプライドと押し売りは宗教の信者のようである。

 

そもそも労働者は労力を対価として働いており、対等な立場でなくてはならない。

それを買うも拒否するもお互い自由競争だし、終身雇用もなくなり、ジョブ型になるならなおさら義理は無い。

いつでも買ってもらえるように商品を磨くのは自己投資で必要であるが・・。

 

なおかつ、グローバル化になり日本的な価値観など不要であり、忠誠にプライベートもサービスして尽くすなど愚の骨頂である。欧米式の契約型に既に移行しているのでる。

 

あなたがプライベートも犠牲にして尽くした会社、出世のためにと尽くした上司は

会社はいつ潰れるか判らない、上司もいつ転職や解雇されるか判らない。

そんな会社や上司にあなたは変わらず尽くしますか?

 

 

 

張り切り社員がウザい

職場のメンタルなどよく取り上げられ、モチベーションやら研修などが多く実施されている。

それ自体に否定はないが、鵜呑み共用型の上司ほどウザいものはない。

それが若いならなおさら「いいことなんだからやって」的な押し付けになる。

 

そういうことをする人ほど、じつは無理しており、たまに攻撃的な言動や行いをする。偽善なのが垣間見えてしまう。

 

頑張る姿は良いのだが、それは自分で消化して人に強要するものではない!

ある程度年齢をいくと、あきらめと言ってしまうと恐縮だがバランス感覚が出来てくる。それができない若い幹部は「自分の正義」を最大限押し付ける。

 

しかも自分で発見したのならまだしも、ほかの知識の押し売りである。

若さゆえの暴走か、体育会系の特性か、頭でっかちの思想か・・・。

 

そもそも私は自分が経営者でないかぎりは、仕事に常のやりがいを持ち続けることは無理と思う。

極論、労働者サイドは人の会社をを稼がせるために、自らの労働力とスキルを現金化しているのだから、夢や希望を持つというのは対局にあるものではないだろうか。

 

経営者はそれができるので「夢を持て」だの言うが

お前が好きなことして、会社で好きにふるまえて、儲けるのなら そりゃやめられないわな!と思う。

ましてや、従業員や部下にそれを強要するなんでもっての他である。お前のために切り売りしてやってんだよ感謝こそしろ と言いたい。

 

経営者もしかりだが、まれにそれに加担する幹部(特に見地のない若者・体育系)の幹部が賛同する。はっきり気持ち悪い!

 

常に人間ポジティブなんでありえないし、それを目指すものでもない、

うき沈みがあってしかり、人間なんのだから。

そもそも仕事(他人が創業した案件)にそれを持てというのがお門違いである。

 

 

 

 

女性脳と男性脳

私は取引先や上司など女性が苦手である。

決して女性嫌いではなく、むしろ女性好きなくらいである。昨今そのような言い方をすると、女性差別だ!ダイバーシティ化していない!などとすぐ言われてしまいそうである。

 

ともあれ、女性を軽視している訳でなく、ビジネスで関わる事に関しすれ違い感がある。

 

とある調査でも女性(同性)が女性上司より男性上司の方が仕事がしやすいというアンケート結果もあった。ではなぜ、女性上司(取引先)は嫌われるのであろう。

嫌うと言うとまた、反感をかってしまうので失礼をお詫びしたい。

 

その一考に女性脳と男性脳という思考の異なりがある。

先に言っておくが、どちらが良いとか悪いとか優劣ではないと断っておきたい。

男性は将来的展望を考え損得を判断する。女性は直前の損得を考え判断する。

解りやすく言うと、男性が今すぐ使いもしない高価な買い物をして嫁に叱られる。女性が安いスーパーを求め買い物に行く。という事である。

 

男性は将来的に考えて今これを持っておけば頻度を考えれば結果的に得を考える。

女性は日々の得を積み重ねて、結果的に積み重ねで得を創る。

 

目先の積み重ねか、大筋のゴールを逆算するかの違いである。

 

ビジネスにおいて、女性は細部にこだわりその「良い」の積み重ねが結果良いものを創造すると考える。男性は良い結果から逆算し、それが必要か、どれだけ重要かを判断する。多少のブレより最終ゴールを考える。

 

故に女性は細かい、男性はズボラと言われるのである。

 

では、細かい女性が全てにおいてきちんとしているかというと・・・。

もちろん人間なのでパーフェクトはなく、状況や日々によっても事なるので「気分屋」「感情に左右される」と言われてします。

 

男性は「真剣さが足りない」「問題を先送りにする」といった具合だろう。

 

この異なる脳の価値観を合わせるのは難しく、故に摩擦が生ずるのであろう。

男女の違い、職場でも家庭でも古来からの、人類創生からの問題であろう。

ジョブ型雇用についてモノ申す

ジョブ型雇用がよく話題にあがる。

働き方改革とコロナによるリモートワークの影響もあり、働く形態が見直されている。

 

一般的な日本の労働スタイルはメンバーシップ型であり、部があり、課がありとったメンバーでミッションを担当し業務を行っていく。

故に、上司の承認をもらい仕事をしていく。その裁量が出世していくと大きくなるので出世競争なども生じてくる。

 

一方ジョブ型とは、名の通り仕事を請け負う、担当するという意味合いを持つ。

平たく言うと、この仕事をしたら報酬はいくらといった具合である。会社に属る個人商店といった感じだろうか。

 

どちらも一長一短があり、一概にどちらが良いとは言えないが、考えなくてはいけない点はある。

 

そもそも私は企業の「転勤」について日々異論に思っている。

周りを含め、誰も望んではいないのが多数である。住み慣れた環境を離れ、かまどを2つにするのだから出費もかさむ。

なぜ、そうするかというと経験や異なる土地勘で企業の全体を把握し、いづれは統括できる人材の育成と企業は言うであろう。しかし、本当にそうであろうか。

リモートワークやネット社会で、地域はおろかクローバルにつながる現代において、地域性や商圏特性を居住をしてまでしか手に入らないものなのだろうか。

営業は対面するメリットは確かに大きいが、転勤により築いた人間関係も0に戻る。

ずぶずぶの馴れ合いになるのも問題ではあるが、メリットを感じ得ない。

 

最近では地域限定社員と称し、エリア範囲を設けているが待遇に違いが生ずる。

転勤ないから給料が安い。意味不明である。物価の違いはあれど、売上のシェアはあれど大きく待遇に差をつけるのはどうかと思う。

では、ジョブ型社会になったとき、同じ仕事をしても首都圏と地方では賃金が異なるのか?それこそジョブに対しての報酬ではなくなってしまう。

 

おそらくジョブ型の最終形は、●●会社、私支店 になるであろう。

個人という支店でどのようなジョブをして企業に利益をもたらし、報酬を受けるか。

在宅ワークのような感じになるのではないだろうか。

 

 

 

 

精神疾患について

まず先に書き記したいのは、Drという文字がついているが、私は医療従事者ではない。

何かしらの問題提起や、心の支えなどを提供できないだろうかという想いで治療(励まし)でつけています。

 

昔は3疾病といえば、がん・心筋梗塞脳卒中だったが、糖尿病と精神疾患を加えて、最近では5大疾病というらしい。

 

まぁ糖尿病は身近で多いので解るが、精神疾患もそれだけ多くメジャーなことに今更驚く。

鬱やメンタルヘルスが叫ばれ、相変わらず日本の自殺率も若干しか下がっていない。そんなに生きづらい世の中なのだと改めて思う。

 

みんな平和に穏やかに生きたい。それは戦争など政治的な意味を除く世界では、特にわが国では共通の思いと思っていただけに、なぜと思う。

思いやりと和を尊ぶ文化はどこへいったのか。ぎすぎすした感情のはけ口をぶつける、またSNSなど身元安全なら他人への攻撃は拍車をかける。

いつから、他人を罰するコミュニケーション文化になってしまったのだろう。

コロナ禍でも、支えあって乗り越えるという一方、自粛警察やマスクチェックなど、正義の味方で他を罰する輩がいるのも悲しい事実である。本人は正し事をしていると自負しているのでなおさらやっかいである。

 

目指すところは正し世界なのだが、強制や処罰をする権利はない。正義感について、こんな事を思った。

よく若いころは、職場環境できちんと法令の休みを与えるべきだ(法的には当然なのだが)、上司は働いていないのにきちんとしている若手が評価されないのはおかしいという後輩を見かけた。

 

コンプライアンス順守は、このご時世当然なのだが、若手のいう事は正論である。正しい。しかし、その正義を振りかざしても、相手にとっては正義で無いことを知ってほしい。

 

わかりやすく極論すると、労働者の正義はきちんと休みが多く、極力楽な仕事で高待遇、まぁそれを私も望む。

しかし、経営者の正義は賃金を抑え、高利益で会社を繁栄させる事。相反する正義を背負っている。

どちらが正しいという事でなく、世間的には労働者の正義が正論で正しい。しかしその正論を経営者の正義を犯すことは筋違いである。正義の形は人や立場によって違うからだ。

 

正論=正義 ではないのだ。

 

話がそれたが、その正義の多様性を認めあぅて容認していく、そんな時代が薄れ精神疾患がメジャーな嫌な世の中になってしまったのではないだろうか。

 

高度系座成長期のような、どんどん満たされていく未来ではもうないのだが、足るを知り共生し、お互いを認め合うダイバーシティ化の未来に期待し、精神的にも健やかな世界を皆で作り上げたいものである。