精神疾患について

まず先に書き記したいのは、Drという文字がついているが、私は医療従事者ではない。

何かしらの問題提起や、心の支えなどを提供できないだろうかという想いで治療(励まし)でつけています。

 

昔は3疾病といえば、がん・心筋梗塞脳卒中だったが、糖尿病と精神疾患を加えて、最近では5大疾病というらしい。

 

まぁ糖尿病は身近で多いので解るが、精神疾患もそれだけ多くメジャーなことに今更驚く。

鬱やメンタルヘルスが叫ばれ、相変わらず日本の自殺率も若干しか下がっていない。そんなに生きづらい世の中なのだと改めて思う。

 

みんな平和に穏やかに生きたい。それは戦争など政治的な意味を除く世界では、特にわが国では共通の思いと思っていただけに、なぜと思う。

思いやりと和を尊ぶ文化はどこへいったのか。ぎすぎすした感情のはけ口をぶつける、またSNSなど身元安全なら他人への攻撃は拍車をかける。

いつから、他人を罰するコミュニケーション文化になってしまったのだろう。

コロナ禍でも、支えあって乗り越えるという一方、自粛警察やマスクチェックなど、正義の味方で他を罰する輩がいるのも悲しい事実である。本人は正し事をしていると自負しているのでなおさらやっかいである。

 

目指すところは正し世界なのだが、強制や処罰をする権利はない。正義感について、こんな事を思った。

よく若いころは、職場環境できちんと法令の休みを与えるべきだ(法的には当然なのだが)、上司は働いていないのにきちんとしている若手が評価されないのはおかしいという後輩を見かけた。

 

コンプライアンス順守は、このご時世当然なのだが、若手のいう事は正論である。正しい。しかし、その正義を振りかざしても、相手にとっては正義で無いことを知ってほしい。

 

わかりやすく極論すると、労働者の正義はきちんと休みが多く、極力楽な仕事で高待遇、まぁそれを私も望む。

しかし、経営者の正義は賃金を抑え、高利益で会社を繁栄させる事。相反する正義を背負っている。

どちらが正しいという事でなく、世間的には労働者の正義が正論で正しい。しかしその正論を経営者の正義を犯すことは筋違いである。正義の形は人や立場によって違うからだ。

 

正論=正義 ではないのだ。

 

話がそれたが、その正義の多様性を認めあぅて容認していく、そんな時代が薄れ精神疾患がメジャーな嫌な世の中になってしまったのではないだろうか。

 

高度系座成長期のような、どんどん満たされていく未来ではもうないのだが、足るを知り共生し、お互いを認め合うダイバーシティ化の未来に期待し、精神的にも健やかな世界を皆で作り上げたいものである。